意思を持った言葉達

僕の通う職場は、ネイティブ言語を韓国語とする職員が70%を占める。
ある日、僕の日本語を聞いた韓国人スタッフに言われた。

<지영씨 일본어 진짜 잘 하시네요.>
(チヨンさんは本当に日本語がお上手ですね)

はじめは、僕は日本で生まれ育ったのだから
(韓国語より)日本語の方が上手いのは当然じゃないかと思ったし、
実際にその時も

<그거는 제가 한국말을 못한단 말씀이시네요>
(それは僕の韓国語が下手ってことですか?)

と、笑って返した。――

今度は日本語がほとんどわからない韓国人スタッフにこう言われた。

<지영씨가 하시는 일본어는 왠지 잘 기억이 되요.>
(チヨンさんの話す日本語はなぜか耳に残るんです)

彼は日本語を勉強中なのだが、
度々「あ、これチヨンさんが言っていたな」と思うのだそうだ。
他にも日本語を話すスタッフがいるにも関わらずそうなのだから
僕はたまらなく嬉しかった。

おそらくだが、僕が日頃意識している
「言葉一つ一つに意思を込める」ということが、
やっと少し出来てきたのではないかなと思う。

およそ10年ほど前、プロドラマーの鶴谷智生さんが
「一音一音に意思(意味)が込められていなければならない」
と、おっしゃっていたのを思い出した。

麻雀も同じで、いかなる状況でも「なぜその牌を切ったか」が
説明出来なければならない。

僕は表現者でありたい。
一言、一音、一打、あらゆる行動の全てが金智英という人間を映し、人の心を打つ――
それを実現するための人生であると、三十路にも満たない小僧は今思っている。
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by kimjiyoung | 2006-11-04 12:19 | 雑記・エッセイ | Comments(0)

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