「信じてない」もオカルトの範疇
2015年 04月 04日
オカルト事象に対する考え方やスタンスを話す時に。
今日はこれについてです。
(久々にデジオカについて書けるのでテンション上がってます)
「信じる」っていう言葉なんですが、
1.あいつの言ったことは正しい
2.あいつの言ったことを信じている
3.あいつの言ったことは信じられない
4.あいつの言ったことは間違っている
それぞれを比べると上から順に信頼度が下がっていってますよね。
数字にすると100、90、20、0って感じかな?
違う形の例も出しておきましょうか。
1.中日ドラゴンズは今シーズン優勝する
2.中日ドラゴンズが今シーズン優勝すると信じている
3.中日ドラゴンズが今シーズン優勝するとは信じていない
4.中日ドラゴンズは今シーズン優勝しない
1と4は絶対的で2と3は逆の可能性を否定しきれていないわけです。
分かりますよね?
「僕は妻のことを信じてる」と言ったら、
「裏切られるかもしれないけど、そんなことはないと思い込んでる」ってことじゃないですか。
その逆もまたしかりで。
僕がデジタル思考だと知っている友人にはたまに冗談で、
「俺、雨男だからなー」とか「今年厄年だからなー」とか言うんですよね。
そうすると「信じてないくせに!」とツッコまれるんですが、
すごく違和感を覚えるわけです。
僕はそういった事象の一切を否定してます。
1%もありえると思ってないわけです。
ゼロ。
零。
だから言うとしたら「信じてないくせに!」じゃなくて、
「否定してるくせに!」とか「あると思ってないくせに!」ですね。
(「同じじゃん」と思った人はこのエントリーを最初から読み直すか、小学校を卒業してきてください)
オカルト信者にも程度がありますよね。
全ての判断をそれに委ねていたり、大金を投じていたり、
周りにそれを勧めることで人間関係に支障をきたしていたりする人もいれば、
飲みの席で血液型聞いちゃったり、朝の占いカウントダウンを見てから出社する程度の人も。
あとパワーストーン身に着けちゃうとか。
僕に言わせれば少しでも可能性を感じていたり部分的にでも信じていたら、
みんな立派なオカルト信者です。
お疲れさまです。
繰り返しますが「○○は信じてない」もオカルトだから。
「○○なんてインチキだ。ありえない」がデジタル。
だって、
「1+1は2だと信じてるけど、ひょっとしたら2.1ぐらいの可能性もある」
なんてことを言う数学者はいないでしょ?