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2017年を迎えて

2016年が過ぎていきました。
去年は僕にとって節目となる1年だったような気がします。
人に知らせたいような大きな出来事があったわけではないのですが、
人生観が変わったと言っても過言ではありません。
急に何を言い出すんだこいつは、別に何も変わってないじゃないかと
思われるかもしれませんね。
それもそのはず。
僕自身はまだ何も変われていないので。
ただ変わらなければならないということを知ることはできた気がします。

なぜ「知ることができました」ではなく「できた気がします」なのかと言うと、
今までもずっと、その時はその時なりに必死でしたし、
ベストを尽くしてきたつもりでした。
覚悟を持って臨んでいたつもりでした。
でも振り返ってみると全然足りなくて、
結局何も成し遂げられてないじゃないかと思うわけです。
だからまた時がたてば今を振り返って、
まだあの時は何も分かってなかったなと思うんじゃないかな。

ただそういうことがはっきりと分かったのは確かですね。
自分は何も分かっていないし、これからもずっと分かることなんてないと。
今まではそうではありませんでしたから。

何で今まで気付けなかったんだという気持ちもありますが、
今気付けてよかったということのほうが大きいです。
このまま何も変われずに過ごし続けていたかもしれないわけですし。

今思えば3年くらい前から自分の置かれた状況や身の周りに変化があったりして、
少しずつ気付き始めていたのかもしれません。
でも気付くことが怖くて、変わることを恐れていたというか。
今になってそれをやっと受け入れることができました。


小さい頃は早く大人になりたくて、
下の毛が生えそろったぐらいには世の中を知った気になってました。
それからも分からないことや初めて知ることがどんどん出てくるんですが、
そのたびに偉くなった気になって、
人に認められたい一心で何事にも取り組んでいました。
目的や目標のために行動していたんですよね。
はっきりした目的や高い目標を持つことは大事かもしれませんが、
僕の場合は結果にばかりこだわってしまって、それにとらわれていた気がします。

でも今はそんなことなんてどうでもよくて、ただやるべきことをやるだけです。
やったらどうなるかすらもあまり大事じゃないというか、
そういう打算はなるべく捨てて、やると決めたからやる。
誰に認められるとか認められないとか、好かれるとか嫌われるとかは
考えないぐらいが僕にとってはちょうどいいのかもしれません。
その結果うれしいことがあれば喜ぶでしょうし、
つらいことがあれば悲しむでしょう。
でもそんなことで満足したり立ち止まったりしない強さが欲しいです。

もうここ十数年は家庭、バンド、仕事の3つを
どうやって成り立たせていくかを考える日々でした。
どれも自分にとってはすごく大事です。
そして何よりも全部自分で決めてやってることです。
それならもっともっとやれることはあるし、
まだまだ頑張らないといけませんよね。
大変は大変です。正直。
でもだからって死ぬわけにはいきませんから。
やるしかない。
僕なんて本当に恵まれていて、もっとつらい状況で
歯を食いしばってやってる人もたくさんいるんですから。

そんなことに気付かせてくれたのは家族であり、友達であり、
タケさんでありヒデタさんであり、バンド仲間であり、
上司であり、同僚であり。
僕を名前で呼んでくれる全ての人たちのおかげです。

毎日勉強、一生勉強。
あと何年生きられるか分かりませんが、ずっとこの気持ちを忘れずにいたいです。
これからもたくさん間違えるでしょうし、見失うこともあるかもしれませんが
その時はまたあなたが鏡になってくれると信じています。

2017年もよろしくお願いします。
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by kimjiyoung | 2017-01-05 00:01 | 雑記・エッセイ | Comments(2)

20161206 雑記

みんな元気にしてますか?
僕は元気なんでしょうか(笑)。
とりあえず病気も怪我もしてません。
体は健康なんじゃないですかね。

ただ7月ぐらいから仕事がずっと忙しくて、
昼休みを取れるのが月に1日とかです。
あとはデスクに張り付いて弁当をかき込んだり、カップラーメンで済ませたり。
最近はそれすらも面倒くさくなってきて、昼食自体あまり取らなくなりました。
朝も目が覚めたら歯磨きしてシャワーして髪もびしょびしょのまま家を出るので、
ここ数か月は1日1食の生活が続いてます。
そうするとえらいもんで体重が結構落ちました。
大体70kgとかその辺だったんですが、さっき体重計に乗ったら64.6kgでした。
このまま50kg台まで戻せたらいいんですけどねー。
ただ運動して健康的に減量しているわけではないので、
いわゆる筋肉量が落ちてるだけってやつなのかな。
時間の問題でまた太るでしょうから、今のうちに喜ばせてください(笑)。

仕事がたくさんあるのはいいことだし、
休憩もろくに取れないのはスケジュール管理が下手な自分のせいだし、
好きでやってる仕事だから文句は言ってられません。
もっともっと頑張らないと。
とりあえず年始まではこのまま突っ走るしかなさそうです。
ただ人手不足は否めないので、
韓国ドラマの字幕制作に興味がある人がいたら連絡下さい。^^;

バンドのほうも10月にミニアルバムを出しまして、
リリースツアーと称してライブをたくさんやらせてもらってます。
rockey企画で岡山と米子に行ったり、長野でのサーキットイベントに出演したり、
新宿ACBでイベントも打ちましたし、MINAMI NiNEと甲府にも行ったし、
GOOD4NOTHINGとは2マンを3本もやらせてもらいました。
そしてJr.MONSTER、ラリーさん企画で神戸にも。
その1本1本を本当に大事にやらせてもらっています。
演奏させてもらえる環境があること、共演してくれるバンドがいること、
見に来てくれるお客さんがいること、その一つ一つが当たり前なんかじゃなくて
すごくありがたいことなんですよね。
そしてそこでドラムを叩くという役目を担うわけですから、
その責任の大きさをしっかり感じて自分にできることを精一杯やっているつもりです。
ドラムは長く叩いてきましたが、文字どおり初心に返ってバンドと向き合っています。
年内も年明けもライブが決まってきていますので、是非見に来てくださいね。

http://shachi-web.com/

プライベートは、そうですね。
仕事とバンドで必死なので、余裕があまりないですね。正直。
食事や飲みの誘いも断ることが多くなりました。
でもそんな状況で無理に行っても楽しくないし、相手にも気を遣わせるので…。
家にいる時は今まで以上に料理をしてます。
料理をしてると落ち着くし、おいしいものを食べたら満たされるし、家族も喜んでくれるので。
そしてたまの外食は親友と呼べる幼馴染の家族とホルモン焼きの店に行くのが
この上ない楽しみですね。

親友の定義って何だろうと、自分にとってそう呼べる友達がいるのかなんて
今までずっと考えてきたことだったりするんですが、
そのホルモンを一緒に食いに行くやつがそうなのかもしれないなと思いますね。
自分のライブを優先してそいつの結婚式にも行けなかったんですが、
僕のいい所も悪い所も全て知っていて、それを受け止めて笑ってくれる。
愛してっからな。チクショウ。

ずっと頼りにしてる先輩もいます。
先輩なので親友と呼ぶわけにもいかないですが心の支えです。
また焼肉食べてカラオケ歌いましょうね。
会いたいです。

ブログもSNSもそうですけど、最近は発信をすること少なくなりました。
なんかそれどころじゃないっていうか、
自分の目の前のやるべきことに手一杯というか。
そんな状況が続いています。
だからこそ今こうしてブログを書いてるんですよね。
ヘビーちよんファンはご存じかもしれませんが、
昔はこんな感じで書くことを決めず思いつくままに指を走らせてたんですよ。
でもさかのぼること2014年5月を最後にそれもしなくなっていました。
だからこそなんつーか、今したくなったんですよね。

韓国の喜劇王みたいな人が、
「幸せだから笑うんじゃない。笑うから幸せになるんだ」と言っていました。
そういう原因と結果を逆に捉える考え方が僕は結構好きなんです。
だから時間に追われている日常を整理する意味で、
自分と向き合う意味でとりとめもなく文字を打ってみました。
つまらなかった方にはすみませんが、ちよんブログは本来こんな感じです(笑)。

たまってしまっているライブレポもするつもりですし、
それも含めて気ままに、時間を見つけて更新しようと思っていますが、
今後もどうぞよろしくお願いします。

最後まで読んでくれてありがとうございます。
そんなあなたが大好きです。
おやすみなさい。
明日もいい1日を。
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by kimjiyoung | 2016-12-07 01:27 | 雑記・エッセイ | Comments(5)
↓まずはこれを読んでみてください↓

◾︎なぜ企業は「マインドコントロール研修」「スパルタ研修」を採用してしまうのか
http://blog.tinect.jp/?p=22734

1つ前のエントリー「『褒めて伸ばす』ということの意味」とも関係ある話なんですが、
まず僕はこのような自己啓発セミナーの類には否定的です。
でも「無くすべき」だとか「法律で罰したほうがいい」とは思いません。

記事本文にも書かれていますが、多くの企業や団体がこの手法を採用し、
志願者も多いのであればニーズがあるってことですからね。
そんなことしても利益が出ないなら実施する企業はなくなるし、
利益が出るとしても誰もやりたがらないならやっぱりなくなる。
国を挙げてとかだったらさすがに問題でしょうけど、
選択肢としてある分には別にいいんじゃないかなと。
簡単に言えば、好きでやってるんだからやらせておけばいい。
世の中にはいろんな人がいますからね。

僕は絶対に研修する側にも参加する側にもなりたくないですけどね。
やっぱり非人間的だもん。
仕事ってのはあくまで食っていくための手段であって、
(過去エントリー「好きなことを仕事にすべきか」)
能力の高さや工夫を凝らすことで高い成果を得て、それが評価されることはあっても、
人間らしさをぶち壊して、限界突破して利益を上げたら偉いかっていったら
そこは肯定できない。
人間が生きるってことの根本から逸脱してるように見えるんですよね。
僕とは生きる目的が違うんだと思います。

そう、生きる目的ですよ。
僕はやっぱり人間らしく生きたい。
判断の基準がそこにあります。
それをとっぱらっての富や名声は要りません。
スパルタ研修に関わってる人たちは生きる目的が社会的成功で、
それ以外は無価値としているんじゃないかと思います。

じゃあどうするか。
人間には頭脳があり、人間は知性を持った生き物です。
それをもって問題解決に取り組むのが理想でしょう。
頭を使うんですよ。
なのにそこを単純化させてしまうということが、
最初に読んでもらった記事で結論としている、

「結局『マインドコントロール研修』を使う会社は、人をバカにしているのだ」

ということなのだと思います。

人には心もあります。
いろんな感情を持って、時にはその感情に素直に、
時にはそれを抑えたりして生きていくことが人間らしい生き方でしょう。
受話器を手にガムテープでぐるぐる巻き?
知らない店に飛び込んでトイレ掃除をしてくる?
それをやったらお金が稼げるんですか。
それなら思考を止めて心を捨ててでも稼ぎたい人はやればいい。
僕は結構です。
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by kimjiyoung | 2016-04-07 21:15 | 雑記・エッセイ | Comments(0)
「褒めて伸ばす」ってのは「間違えても叱らない」ってことではありません。
つまりどういうことかと言うと、
「失敗したら怒る。成果を出しても褒めない」ではだめで、
結果に対して正当に評価することが重要だってことなんですね。

知ってる某社長がそういう意味で典型的にだめなタイプで、
何かしらうまくいかなかったら部下を叱って、成果が出たら自分の手柄みたいな。
それじゃ誰も付いてこないよっていう(苦笑)。

そうじゃなくて、失敗しても成功しても結果に対してきちんと向き合ってあげること。
要は「あなたのことをちゃんと見てますよ」ってことが伝わってこそ人は付いてくるし育つんだと。
ほったらかされんのが一番つらいからね。
「自分には期待されてない」、「頑張ったところでしょうがない」っていう状態だったら、
あったやる気もなくなるってもんじゃん。
だからその逆をやってあげればいい。

昔の頑固親父とかもそうだよね。
子供にとってはただただおっかない存在で、叱ってばっかりみたいな。
そういう人に対して生まれたのが、
「それじゃだめだよ。褒めて伸ばさなきゃ」っていう言葉なはず。

なのにテメエが否定されたり責められたりしたくないから、
「私は褒められて伸びるタイプ」とか言ってるやつを見ると虫酸が走るんすよね。
「失敗しても怒らないで」なんてことを自分から言ってるやつが、
成功するために頑張るわけないじゃん。
親父の金玉から出直してこいって話だよ。

あと褒めるのは大きな成果を出した時だけじゃなくてもいい。
小さなことでも拾ってあげたり、服装とか髪形とか、何でも。
とにかく相手に関心があるってことが伝わってるかどうかが大事。
だから当然だめな時はビシッと叱るべきなんです。

もちろんあとは本人しだいだけどね。
やる気や向上心が最初からなかったり他力本願なやつは、
どうしたってやりようがないし。

そういうことなんじゃないかな。
きっと。
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by kimjiyoung | 2016-04-07 08:58 | 雑記・エッセイ | Comments(3)
子供が何かミスをした時は、
まずなぜそうしたのか理由を聞くことにしています。


最近のやり取りで、

ちよん「なんでそうしたの?」
子供「(しばし無言のあと)分からない」

ってのが多くて教えたことがあります。
今日はそれについての話を。


自分の行動について説明できないのは考えて行動してない証拠なんですよね。
ミスしたことではなくて、考えてないことがいけないんだと。
考えて行動し、それでミスをしたならその経験をもとに考え方を正していけばいいですが、
考えずに行動したなら正すことができません。
経験則から考えて、結果を予測し、選択する。
自分の行動について説明を求められた時にその過程を説明できるということが、
考えて行動してるということなんだよと。

考えずに行動しても問題ないことのほうが多いでしょう。
でもそれじゃ10回同じことをやったら1回は失敗します。
成功してもたまたま。失敗してもたまたま。
その結果に一喜一憂するだけ。
そんなんじゃいつまでたっても成長するわけがありません。

考えることによってミスする確率を10回に1回から100回に1回、1000回に1回と
0%に近づける努力をできるかどうかが重要であり、それを成長と呼びます。
要は思考によって未来を変えていくわけですね。

「考えなくても90%成功するならそれでいいじゃん」と思う人もいるでしょう。
ただ、そこから先を追求できるかどうかが大きな差になるという感覚が大事で、
その感覚を持てるか持てないかは全然違うんですけどね。

そして思考って筋肉や運動神経と同じで、
ずっと考えてなかった人がいきなり考えようとしてもだめなんですよ。
考える習慣をつけることが大事。
人というのは思った以上に慣れる生き物です。
そしてその習慣を自らが変えることもできる。
面倒だからと思考停止していては、1/10のハズレくじを引かされ続けることになりますよ?


実はこれ、麻雀から教わったことなんですよね(笑)。
麻雀は選択と抽選を繰り返していくゲームで、
その場面、その状況で、なぜその選択をしたのかを説明できなければ
強くならないと教わりました。
そしてそれは人生にそのまま置き換えて考えることができます。

麻雀を知ってる知らないにかかわらずこれは真理なので、
覚えておいて損はないでしょうね。
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by kimjiyoung | 2016-03-29 10:16 | 雑記・エッセイ | Comments(0)
僕が普段気を付けていることのひとつに、
「わざわざ間違えにいかない」ということがあります。

人間はミスをします。
ミスはできればしたくありませんよね。
失敗から学ぶことはもちろんありますし、失敗を恐れていては何もできませんが、
回避できる状況で回避しないのはもったいない。
今日はそんな話を。


例えばコンビニに行ったとします。
3人の子供たちにアイスを買って帰ろうと思いました。
いろんな種類のアイスがありますよね。
子供たちに選ばせようと3種類のアイスを買って帰りました。

これ、多くのパパがよくやってそうですが、
わざわざ間違えにいっちゃってますね。

ピノとガリガリ君とアイスの実を買って帰ったとするじゃないですか。
3人それぞれが別々のアイスを一番食べたいと思う確率はかなり低いわけですよ。
誰かが譲ったり、じゃんけんで負けて諦めたりして、
何かしらの不満が残ってしまうおそれがあります。

なぜこうなるかというと、選択肢を与えることがあたかも
子供のことを考えているように錯覚してしまうんですね。
子供と一緒にコンビニに行ったなら好きなものを選ばせればいいですが、
買って帰るとなると話が違うわけです。

ここでの正解は、何でもいいので同じ種類を3つ買って帰ることです。
それなら子供たちはただ喜んで、3人で同じアイスを食べるだけ。
100%おいしいねー、で終わります。


同じように外食する時、複数の子供に何を食べに行きたいか聞いちゃだめです。
意見が割れた時に誰かが「自分の意見は通らなかったんだ」というストレスを感じます。
なので正解は、行き先を妻と2人で決めて黙ってそこに連れていくこと。
外食するってだけで子供は喜びますから。
「なんで何を食べに行きたいか聞いてくれなかったの?」なんて思いません。

これも「意見を聞く」ということが優しさで、
親が勝手に決めてしまうことが悪かのように錯覚してしまうために起こることです。
家庭だけでなく仕事でもバンドでも、できないリーダーにありがちですよね。
意見を聞くべきところと、独断で決めるべきところを見極める必要があるわけです。


次いきますね。

これはうちのかみさんが結構やるんですが、
例えば休みに遊園地に行く計画を夫婦で立てたとします。
そうすると妻はすぐ子供たちに「みんな、次の休みは遊園地に行くよ!」と話すんです。
子供たちは当然喜びますよね。
ただ当日雨が降るかもしれないし、
事情が変わって行けなくなるかもしれないじゃないですか。
マイナーな所だと閉園してることだってありえます。
大人同士が予定を合わせるわけじゃないんだから、
子供にあらかじめ伝えるメリットは特にないわけです。
まあ、子供たちが喜ぶ顔を早く見たいんでしょうね。
その気持ちは分かりますが、やはりわざわざ間違えにいかないという観点でいえば
ギリギリまで黙っておくことが正解。
予定どおり遊園地に行ければみんながハッピー、
行けなかったとしても誰も落ち込みません。
だって遊園地に行くはずだったなんて知らないんだから。
あらかじめ話すのはリスクとリターンのバランスが悪すぎます。


次。


僕は字幕翻訳の仕事をしてるんですが、
かなりややこしいのが日本語における男性の一人称です。
女は全員「私」でいいんですが、男の場合はキャラや話す相手によって変えなければなりません。
「俺」、「僕」、「私」と、おじいさんであれば「わし」まであります。
主役クラスだと間違えませんが、脇役だと「何だっけなー」となることも多いのですが、
記憶を頼りに当てずっぽうで訳すのは一番だめ。
完全にわざわざ間違えにいってます。
そして、過去のデータを遡れば既出の一人称が分かりますが、これもイマイチ。
時間がかかりますよね。

正解は一人称を省いた言い回しにすること。
毎回そうするわけにはいかないまでも、ほとんどの場合はこれで何とかなります。


あとはバラエティー番組とかだと、
ガヤの声が男か女か分からないこともあります。
それで「どっちかなー。『そうだよな』かなー。『そうよね』かなー」なんてことで悩んじゃう。
何度も聞き直して、なんとしても男女を区別しようとしたりね。
そこでは「そうでしょ」とか「そうじゃない?」とか、
同じニュアンスで性別を選ばない言い回しにしちゃえばいいんです。
そうしておけば視聴者は何の違和感も覚えませんよ。
悩んでもしょうがないことに時間を割いたせいで、
チェックが行き届かなくて誤植が残ってたなんてことになったら何をやってるのか分かりませんからね。


僕が実生活でよく感じるというところで家庭と翻訳を例に挙げましたが、
似たような考え方で回避できるミスは多いはず。
あなたの生活における小さなヒントになれば幸いです。
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by kimjiyoung | 2016-02-18 00:23 | 雑記・エッセイ | Comments(0)

5千円の紙切れ

昨日は祝日で仕事は休み。
家族で街へと繰り出しました。

大型リユースショップが好きで昨日も行ったのですが、
小5の長男がお年玉で買いたい物があると言ってきました。
それが何かと聞くとドラゴンボールのトレカで、値段はなんと5千円超。

ゲームソフトか、漫画本の全巻セットか何かかなと思っていた僕は反射的に
「お前はバカか」と思い切り罵ってしまいました。
あんなもんはただの紙切れだと。
元の値段は数百円、希少価値だけに付けられた金額を
わざわざ払って手に入れる意味があるのかと。

当然のように息子はうなだれ「じゃあいい」と言って諦めました。

そして他に欲しいものはあるかと聞きましたが、すかさず「ない」と言われ
そのまま店を後にしました。


5千円というお金の価値。
人によって違いますよね。
僕は普段の生活で5千円なんて簡単に使ってしまいます。
服やバッグ。
気に入ったデザインなら5千円なんて安いです。
カッコいいスニーカーが5千円なら即買い。
飲みに行って会計が5千円だったら安くてラッキー。
賭け事では5千円なんてものの20分で溶けていきます。

カード売り場の前で息子に怒鳴っていた時も、
僕は手に1万円以上の服が入った紙袋をぶら下げていました。


息子が欲しがった5千円のカード。
息子にとっては5千円、もしくはそれ以上の価値があったのかもしれない。
だからといってそれを買い与えることが親として正しいとは思えませんでした。
でもそれは「価値観」という感覚的なものでしかないんですよね。
息子は当然僕のお金の使い方をある程度は知っています。
思春期に入ろうとしている息子と父親の間に厚い壁を感じた瞬間でした。

しかも昨日は弟や妹が5千円くらいのおもちゃを買ってもらったことを知って、
それなら自分も買っていいかもしれないと恐る恐る言ってきたんですよね。
それを頭ごなしに否定されたことでかなり傷ついたはずです。
僕も昔、お金の使い方を親に責められて嫌な思いをしたことを思い出しました。


明日からまた休み。
もう一度その店に行ってトレカを買ってやればこのもやもやは消えるのか、
それとももっと大きくなるのか。

まだまだ分からないことばかりです。
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by kimjiyoung | 2016-02-12 09:10 | 雑記・エッセイ | Comments(2)

うしにく

この前、焼肉を食べに行った時のこと。
末っ子が牛肉を「うしにく」と言っているのを聞いて、
大人たちが「違うよ。『ぎゅうにく』って読むんだよ。ははははー」と笑った。

末っ子は「あれ?おかしいな…」みたいな顔。
多分「『ぶたにく』、『とりにく』なのになんでだろう」と思ってたんじゃないかな。
でも大人たちにゲラゲラ笑われたから、それ以上は言葉を発せず飲み込んだように見えた。

「ぶたにく」、「とりにく」のパターンからの類推は考え方として正しいし、
例外があるんだってことも学べた。
間違うことは大事なんだと教えてあげました。

よく言われてることだけど、
ミスを恐れてチャレンジしない人が多い。
逆に何の準備もせず、根拠もなしにミスを連発して他人に尻拭いさせてる人もよく見る。

自分なりに考え、行動し、誤りがあればそれを受け止め正していく。
成長するためにはこの方法しかない。
これは真理です。

そしてミスを恐れる人が多いことについて、
「ミスに対して厳しい人が多いせいだ」とか
「一度のミスをも許さない社会が悪い」なんてことも言われてますけど、
そんなこと言ってたって環境は都合よく変わっちゃくれません。
ミスを恐れない心を、ミスに対する批判を恐れない心を自分が持つしかないんですよね。

そんなことを改めて考えさせられました。


またみんなで焼肉食いに行こうな。
腹一杯食って、でっかくなれよ。
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by kimjiyoung | 2016-02-10 09:19 | 雑記・エッセイ | Comments(0)
Facebookで保留にしていた友達申請を一気に承認しました。
その方のタイムラインにブログの更新情報が表示されて、
このエントリーを読まれているかもしれませんね。

少し前までtwitterとFacebookの使い方について、
「twitterはフォローするもしないも自由、
Facebookは『友達』としてつながるものだからそれとは訳が違う」という考え方で、
基本的には実際の友人、知人とつながることにし、
顔見知りでなくても友達申請に関するメッセージを下さった方は例外的に承認、
という形を取っていました。

数年前までは無言の友達申請に対して、
「友達申請が来ましたけど、あなたのこと知りませんよ?間違えて申請してませんか?」
というメッセージを送りつけたりもしていました。

SNSの使い方には一定の線引きが必要であろうという考えた方でしたし、
それが自分なりのルールだったのですが、
今思えばくだらないこだわりだったなと反省しています。
僕に興味を持ってくれて、知りたいと思ってくれて、
つながりたいと思ってくれた方の気持ちを拒む必要は全くないはずなのに。

お待たせしてしまった方、申し訳ないです。
メッセージを送ってまで拒んでしまった方、もっと申し訳ないです。

このブログも含めて、
皆さんの日々におけるささやかな楽しみとなれるよう綴っていきますので、
今後ともよろしくお願いします。
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by kimjiyoung | 2015-12-22 08:40 | 雑記・エッセイ | Comments(0)

Instagramを始めてみました

始めてみたというか、とりあえず登録して少し使ってみました。
作文は書かずに考えてもアイデアは出ない、
何でもいいから書き始めると先に書くことが浮かんでくる、みたいな。

今までやらなかった理由はまずガジェット的な問題で、
会社から3GモデルのiPad2が支給されている関係でスマフォは持つ必要がないため通話はY!mobile、
iPad2のカメラ性能が低いので写真はコンデジ、
音楽聴くのにバカでかいiPad出してらんないから音楽はマイナーブランドのポータブルオーディオプレイヤーと、
分けて使ってるんですよね。(ちなみにスケジュール管理は紙の手帳)
つまりiPadのカメラ性能が低いことと、コンデジからは直接UPできないから。

それとSNSにたくさん登録してると管理が面倒じゃないですか。
twitterとFacebookで十分じゃないかとも思うし、
登録だけしておいて放置みたいなのは嫌なんですよね。
だから躊躇してました。

ただ先日、某友人がInstagramにUPしてた画像を保存しようと思ったらできなくて、
自分が登録すればできるのかなと、これを機に登録しました。
結果、登録しても保存はできなかったので本人から直接もらいましたが(笑)。


今はこのブログとtwitter、FacebookにInstagramが追加された形です。

■長文:ブログに投稿→twitterで更新が自動通知→同じ内容でFacebookと連動
■短文:twitterに投稿→同じ内容でFacebookと連動
■画像単発:Instagramに投稿→twitterで投稿が自動通知→同じ内容でFacebookと連動

って感じかな?
なのでtwitterだけフォローしといてもらえれば、
ちよんに関する情報を取りこぼしなくキャッチできます(笑)。
Facebookのほうは面識のない方は基本的に友達承認していないので。


ついでにtwitterとFacebookのことも書いておこうかな。

twitterは知り合いであろうがなかろうが自由にフォローしてくれてかまいません。
たまに「フォローしていいですか?」とか
「フォローしていいか分からなかったので」と言ってくる人がいますが、
そもそもtwitterはそういった性格のものではなく、もっと一方的なものです。
その人のツイートを読みたいからフォローする、読みたくなければリムーブするという、
自分が持つ相手への興味が全てあり、フォローした相手が自分に興味を持っているかどうかは関係ありません。
もっと言うと「その人が書くことに興味があるか」だからね。
人自体は嫌いじゃないけど、書くことが面白くない人もいます。
ライブハウスで働いていたり、バンドで告知担当だったりするとRTが増えたりもしますから、
そういう場合も僕はフォローしません。

だから「相互フォロー」っていう言葉自体が俺は気持ち悪い。
リフォローだかフォローバックだか知らないけど、互いに持つ興味が一致するわけないでしょ。
偽善以外の何者でもない。
「フォローしてくれたら返します」っつって何千人もフォローしてる人もいるけど、
絶対読めっこないからね(苦笑)。
結局グループ分けしたり、ミュートしたりしてるんでしょ。
相手は「フォローしてくれたから自分に興味を持ってくれてるんだ」、
「日々つぶやいてることを見てくれてるんだ」と思ってるのに。
それこそ失礼なんじゃないかな。

ところがFacebookの場合は「友達申請→承認」という流れになっているので、
友達申請するイコール「自分の投稿も見てね」ということになります。
だからむやみに自分からは友達申請しないし、申請が来ても面識のない方は承認していません。
「友達」っていう言葉に縛られてんのかな。

とは言ってもメッセージを1通くれたら承認してます。
「いつか本当の友達になりましょうね。まずはオンラインから」という意味で。
ただその手順すら踏めずに「自分と面識ないかもしれないけど興味持ってください」みたいなのは、
僕の感覚ではちょっと違うかなと。
言い方悪いですが、twitterでフォローして一方的に興味を持ってくれれば。

かと言って申請を承認した「友達」の投稿を全部見ているかといったらそうではなく、
つまらないことばかり書く人はバンバン非表示にしてます。
さっき説明したとおり、Facebookの性格上しかたないので。


そんなわけで、しばらく使って不要だと思ったら退会するかもしれませんが、
まりあえずよろしくお願いします。
IDはtwitterと同じ「kjydrs」でげす。
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by kimjiyoung | 2015-09-11 09:27 | 雑記・エッセイ | Comments(0)