好きなことを仕事にすべきか

「二番目に好きなことを仕事にしなさい。
一番好きなことを仕事にすると、好きだったことも嫌いになる」

なんて言葉を聞いたことはありませんか?
僕は聞いたことがありますし、そうなんじゃないかなと思います。
言葉そのままの意味でもそうですし、
一番好きなことを仕事にできなかった人への慰めにもなりますよね。


数か月前から愛読しているブログがあります。
つぶやきかさこ」といって笠原崇寛さんというフリーランスのカメラマン兼ライターの方が
書いているブログなのですが、そこにこんなことが書かれていました。


得意なことと好きなことは違う。
好きなことを続けていくうちに得意になり、それが仕事になる。
これが人生の王道であり、一番自分が満足して楽しく働ける道だと思う。

しかしそんなに好きでもないけど、得意だからと引き受けているうちに、
いつのまにか好きなことは後回しになってしまい、
得意なことをしている自分こそが生きがいであり、やりがいだと思い込んでしてしまう。

得意なことをすれば人から喜ばれるだろう。
でも本当にそれでいいのか?
本当に心の底から人生楽しいと思えるのか?
他人から期待される自分を演じることで、
本当の自分を押し殺し、経済的には豊かになっても、
心の底から楽しいと思える満足を得られていない可能性がある。

常に他人の顔色をうかがい、他人から求められる自分という枠に、
自分を無理やりはめこみ、得意なことだけに安住し、
好きなことができなくなってしまう人生。
これでは楽しくない。


(「かさこ塾開講~得意なことではなく好きなことを」より)


かさこさんのブログはとても面白く、読み応えがあってためになります。
ただこの主張に関しては「果たしてそうかな?」と疑問を持ったわけです。
そして結論はNOでした。
理由を書きますね。
少し長くなりますが。


これは僕が常日頃からしている考え方なのですが、
人間や社会の本質は原始時代にさかのぼると見えてきたりします。

「何の仕事をするか」。
職業の選択は分業されているからこそ生まれてくる考え方ですよね。
人間ははるか昔、同じ人がある日は狩りをして食べるための動物を獲り、
ある日は海に潜って食べるための魚や貝を獲り、
ある日は農作業をして穀物をとっていたはず。
生きるためには食べなければならないからです。

ただそれだとどうしても効率が悪い。
それぞれが得意分野に専念し、
取れたものを交換したほうがいいのではないかと誰かが考えました。
それが猟師、漁師、農民という職業の誕生であり、物々交換の始まりです。
そしてそののちに貨幣という概念も生まれることになる。

家族が働きに出ている間に子供を見るのも大変です。
それなら誰かがまとめて面倒を見ることにして、
その人にも肉や魚、穀物をあげようということにした。
これが保育士の始まりですね。
子供がある程度の年になったら預かるだけではなく、
狩りや漁、農作業の方法も教えようということになった。
教師の誕生です。

昼間に働き、夜になると焚き火を囲んでいろいろな話をします。
中には話が抜群に得意な人もいる。
その人は周りから「もっと聞かせてくれ」とせがまれるようになりました。
「じゃあ聞かせる代わりに肉をくれ」。
彼は昼間にも狩りや漁に出ず、夜に何を話せばいいかを考えるようになりました。
ピン芸人の誕生です。

同じように音楽家やスポーツ選手も生まれたのだと思います。
これが分業の仕組みであり、現代社会においても根本的な部分は同じです。


さてここからが本題。
かさこさんは「得意なことではなく好きなことを仕事にしろ」と言っていますよね。
それでは本当の意味での分業にならないし、
仮に全員が「上手くはできないけど好きなこと」を仕事にした場合、
その社会全体の生産性が著しく低下します。
みんなが得意でないことをやっているわけですから当たり前ですよね。

おいしいものをおなかいっぱい食べられず、
子供たちの能力は育たず、つまらない話や下手な歌ばかり聞かされる。
それでもおのおのが好きなことを仕事にできているのだから、それで幸せでしょうか?
そんなことはないでしょう。きっと。

各自がなるべく得意なことに専念して、社会全体をうまくまわしていくことができれば
時間に余裕が出来るはずです。
好きなことはその時間を使ってすればいいんです。

現代では外食産業の発展で、食事も安く簡単に済ませることができますが、
料理が好きならそれでもわざわざ食材を買ってきて家で作ればいいし、
友人を招いて食べさせるのもいいでしょう。
ただそれを仕事にする、店を構えるとなったら簡単なことではないですよね。

僕も音楽で飯を食っていこうと思ってましたが、
好きなことではあっても得意なことではないので諦めました。
だから言葉を使う能力でお金を稼いで、空いた時間を使ってバンド活動をしています。
ドラムで食っていけたらもちろんよかったんですけどね。
でも結局それがお金にならないということは、社会に必要とされてないということですから。
需要のない所に力を注ぐのはロスもリスクも大きいし、
社会の役に立てる方法で収入を得るほうが自然でしょう。

話を戻すと、原始時代にも僕みたいに
仕事にするほどうまくはないけど音楽は好きってやつがいたと思うんですよ。
狩りなり、漁なり、得意なことできちんと生産をするから、
その代わりに夜は俺の歌を聴いてくれないかと。
原始時代のアマチュアミュージシャンですね。


そりゃ好きなことと得意なことが一致していればいいですよ。
ただ悲しいかな、そういうケースってなかなか少ないんじゃないですかね?

大横綱、貴乃花関がいつかのインタビューでこう答えていました。
「相撲が楽しいと思ったことは一度もありません」

メジャーリーグでも活躍した石井一久投手は、
「自分は投げるだけだから野球のルールをよく知らない。
オフの日には家でずっとウイニングイレブンをやってるし、
本当はサッカー選手になりたかった」

と話していました。

もし貴乃花関が好きなことではないからと相撲をやめていたら?
石井投手が頑なにサッカー選手を目指していたら?


繰り返しになりますが、
自分の好きな分野に関する能力が社会に必要とされているのであれば
それを仕事にすればいい。
ただしそうでない場合は素直に得意なことを仕事にして社会貢献し、
好きなことを趣味として続けられる余裕を持つようにすればいい。

あなたは一人で生きているのではなく、社会の一員なのですから。
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by kimjiyoung | 2014-03-06 02:33 | 雑記・エッセイ | Comments(0)