叱る側の論理 叱られる側の論理

ちょっと前に起きた体罰を受けての自殺もそうだけど、その前から「叱らずに褒めて伸ばす」みたいなのが現代的で優れた教育法だというふうに言われてるのに対して俺はなんかずっと腑に落ちないというか、疑問符が頭から消えないでいる。

「殴る」と「殴らない」の二択なら、殴らずに済むならそうすべきだし、「叱る」と「褒める」の二択なら褒めたほうがいい。それは当然そうじゃん。でもなんで片方だけするのがいいってことになっちゃってんのかっていうさ。殴らなくていい時に殴る必要はないけど、言って分かんない奴はぶん殴らなきゃダメでしょ。褒めるべき時には褒めて、叱るべき時には叱る。「徹底的に褒めて伸ばす」とか、「自分は褒められて伸びるタイプ」だとか言ってるのは、俺には「私は状況に合わせた適切な指導ができません」、「私は甘ったれた人間です」としか聞こえない。

あと俺が子供にきつく言って聞かせてることのひとつが、悪いことをして注意されたり叱られたら必ず謝ること。「はい」とか「分かった」で終わらせない。「ごめんなさい」と言わせる。それに対して子供が「わざとじゃない」とか「知らなかった」と言ってくるんだけど、それは関係ないと。それが通ったらなんでもありになるだろと。頭をひっぱたいて「わざとじゃない。手を上げたら当たっただけ。お前がそこにいるから悪いんだ」と言う。そしたらお前はどんな気持ちかと。娘が大事にしているノートを破いて「誰のか知らなかった」と言う。これでお前の気が済むかと。「悪気があったわけじゃないからいいじゃないか」っていうのは許す側に与えられた選択であって、事を起こした側が主張すべきことじゃないんだよね。

それと仕事では誰かと誰かの間に立って業務を進めることが多いんだけど、「これこれこういうミスがあったと客先の◯◯さんから指摘が入りましたよ」と実務担当者に伝えると、「そうでしたか。申し訳ありません」と返してくる人と、「了解です」としか言わない人がいる。いや、了解じゃないだろと(苦笑)。指摘された俺は当然◯◯さんに謝ってるわけじゃん?そしたらその俺に「謝らせてしまって申し訳ない」っていう気持ちを持てない人とは仕事できないよ。

いい加減にやってもカネがもらえるなら誰がきっちり仕事する?謝るのが嫌だから、バツの悪い状況がストレスだからそうならないように努力して工夫するんじゃん。その感覚がなかったら、失敗し続けるに決まってる。

大事なのは自分の非を認めるってこと。そしてそれを相手にきちんと伝える。「悪いと思ってるんだからもういいじゃん。口に出すか出さないかが重要?」と言われることもあるけど、言葉に出したくないって時点でそいつは自分の非を認めてない。惨めな思いをすることから逃げてるよね。そんなのは許さねえっつってんだよ俺は。

叱るってことはさ、その相手に対して自分が責任を持つよってことなわけ。自分の子供は叱るじゃん。親としての責任があるから。甥や姪もそう。自分の子供と同様に、その子に何かあったら叔父である自分が責任を取るから叱る。でも他人の子供は叱らない。その子に対して責任を取る必要はないし、その子がどうなろうが知ったこっちゃないから。後輩に対してもそう。自分がその相手にとって先輩だっていう自覚があったら叱る。どうでもよかったら何も言わないよ。エネルギーの無駄遣いだもん。

部下や外注先にダメ出しするのも同じでさ、自分が責任を取るポジションにいるからするわけだ。注意される側もそこを理解しなきゃならない。

血縁の場合以外は、関係を解消することもできるわけだから、逆に言えば「あんたなんか先輩とも思ってねえよ」とか「おたくからの仕事なんて要りません」ってことなら、その叱咤を受け止める必要はないよね。ただその関係を大事にしたいなら、きちんと受け止めないと。


「惨めな思いをしたくない」っていう気持ちは持つべき。だけどそう思ってからどう行動するかが間違ってる人が多いよね。認めて、受け止めて、今後に生かすんじゃなくて、自分の正当性を無駄に主張したりミスを隠そうとしたりする。そうすると指導する側は「もういいや、こいつ」ってなっちゃうから、成長するチャンスを放棄してることになるんだよね。

ゴールはできるようになることじゃん?そのためにできないことを克服していかなきゃならないのに、「できるようになったら注意されない」→「注意されないようにすればいい」っていう思考に陥っちゃってるんだよね。誰だって失敗したくないんだよ。でも失敗しなきゃできるようにはならない。完全に本末転倒なのね。

ダメな奴だと思われたくないのかな。嫌われるのが怖いのかな。そんなプライドみたいなのがあるんだよね。多分。俺も「嫌われてるな」って思ったら凹むよ。凹むけど、何をどうやったって嫌う奴はいるじゃん。だから気にしないようにするしかないんだよね。俺はいつもそういうときに、松本人志さんとか木村拓哉さんのことを考えるようにしてる。あれだけの結果出してる人でもバッシングする人が山ほどいるんだから。むしろ結果を出せば出すほどアンチは増えるものだから。どうして嫌われたのかは一度考えるよ。それで理由が分かったらその部分を改めればいいし、分からなければそれ以上気にしない。自分が行動を起こしてる結果だから、好いてくれる人も増えてるだろうと思って諦める。

最近、twitter上で気になったツイートが2つある。


【にゃもさん(@ryo_nyamo)さんのツイート】

アメトーク人見知り芸人の時ザキヤマさんが「人見知りの人は、嫌われちゃうのが怖いって思ってるんでしょ?嫌われちゃうってことは嫌われてないと思ってるんですよ。もう既に嫌われてるんですよ?嫌われてないと思ってるという傲慢さがあるんですよ」って言ってたのが彼の深淵を見たようで忘れられない


俺もその時の回見てたけど、これほんとにそうだよね。真理を突いてる。
それとこれ。


【家入一真さん(@hbkr)のツイート】

結局、打率じゃなくて打数なんだよね。そりゃ少ない打席で一発ホームランの方がかっこいいけどさ、まあそんなのそうそうない。そもそも人生の中でそんなに打席に立つチャンスがあるわけじゃない中、選んでる場合じゃないよね。打率を上げようとするから、何も動けなくなる。打率なんて低くていいよ。


俺も昔、ブログに似たようなことを書いた。


負けるから勝てる
http://kjydrs.exblog.jp/6643859/



でもやっぱ大多数の人は打率、勝率を上げようとするよね。そんなことくだらない。どうでもいいことにこだわってちゃダメなんだよ。

俺の好きな言葉に「勝っておごらず負けて潔し」ってのがある。俺はこれからもそう生きていきたいし、自分と関わっていく人にもそう生きてくれることを望んでる。
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by kimjiyoung | 2013-02-14 19:43 | 雑記・エッセイ | Comments(0)

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