自分の為に下す他人への評価

僕、初めて人と会ったら早い段階で自分に合う人かどうかの判断をしていきます。
正確には、判断したがります。
理由としては何だろうな、
無駄が嫌だし、後悔したくないからかな。
どういう人間か見極めないと、どれぐらいの距離間で付き合っていいか分からないから。

言い方を変えると見切りが早いっていうのかな。
基本、他人への評価は減点法なんで。
過去に嫌な思いをさせられた人間のデータがあってさ、
そいつらと同じ要素を持ってる人間はピンとくるわけ。
そしたらなるべく深く関わらないようにしちゃうな。
だってもし深入りしてまた嫌な気持ちになったら、
「何で知っててまたやっちゃったんだろう」って後悔するじゃん。

「そうやって決めつけるのはよくないよ」って言われるけど、これはいわゆる価値観の問題。
俺なりの人との付き合い方だから、強制はされたくないっすね。
それに洞察力が無い奴の詭弁にも聞こえる。
もちろん後になって見直すこともあるから、
その都度少しずつデータを修正しながら、精度を高めていく努力はしてますよ。

「悪気はない」とか「根はいい奴」だとか、そんなことはどうでもいいんです。(評価の基準にならないので)
これも何度も言ってることだけど、時間と金が無限にあるか、
もしくは関わる対象がめちゃくちゃ少なかったら話は別なのね。
何度も後悔しながら、じっくり見定めていけばいいと思うんだ。
でも現実はそうじゃないから、ある程度の段階で判断してかないとおっつかない。

これもいつも言ってることだけど、
俺が見切る側で相手が見切られる側、俺が悪者で相手は被害者みたいに聞こえっかもしんないけど、
合わないと感じた相手と深く関わらないのは、お互いにとっていいことだからね。
ここは俺がアカウント取って、俺が時間割いて書いてるブログだから思ってること好きに書いてるけど、
血液型占いを楽しんでる人と会っても諭すなんてこと絶対にないよ。
お互いに時間の無駄だし、そんなことしても誰も得しないことぐらい分かってる。
仮に「ブログ読んだんですけど、血液型と性格って関係ないんですかね?」って誰かに聞かれたら、
自分なりの見解は述べるけどさ。
宗教だってどれも言ってることは違うけど、それぞれちゃんと存在してるわけじゃん?
別個で幸せを追求すりゃいいの。
俺のこの考えを否定する人は、ローマ法王とダライ・ラマも議論し合って
結論を出さなきゃダメとでも言うのかな。
それとこれとは話が違う?
規模が違うだけで同じことだよ。

平和っつーのは全員と仲良くするんじゃなくて、大事なのは争わないこと。
かといって誰とも関わらないことでもない。
価値観に応じて距離を計りながら付き合っていくこと。
つまり「自分はこうだ」っていう価値観が明確になかったら、
距離間もクソもないから俺が言ってることは意味が分からないかもね。

「そうやって逃げてたら、自分に甘くしてくれる人としか付き合わなくなる」みたいなことも言われた。
でもこんなこと言ってても生きてたら
嫌な奴と一緒に何かやらなきゃダメなときなんていくらでもあるじゃん。
そのときにできるだけ頑張れば十分なんじゃねえかな。
選べる関係においてはきちんと選ぶ。
これってそんなに悪いこと?

あとこれもあるな。
俺がこういうこと言ってるのは、自分が相手をきちんと評価する代わりに
自分も厳しく評価してほしいっていう覚悟の表明っつーかさ。
「俺も大目に見るから、そっちも甘くしてね」みたいなのはぬるいじゃん。
その先には向上心の放棄、思考の停止がチラつく。

俺だって全然ダメだよ。
でも自分なりに緊張感持っててこの程度だから、
正当に評価される覚悟すら捨てたら、たちまち更にくだらない人間になっちゃう。

「情けは人の為ならず」っていうけど、他人に厳しくするのも自分の為だってことだね。
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by kimjiyoung | 2011-08-08 00:26 | 雑記・エッセイ | Comments(0)